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The Golden Rule

情報伝達はWebでは完結しない

はじめに

この記事はWeb Accessibility Advent Calendar 2017の19日目の記事です。まず最初に、私のブログ記事を書く大きなきっかけとなるアドベント・カレンダーを通じて、今年も記事が書けることに感謝します。

また、カレンダーの他の方の記事が、どれもみなWebアクセシビリティの重要性を広める努力をされている中、アンチテーゼのような記事を書くことを大変申し訳なく思っています。

しかし、このタイミングで情報伝達手段全体の中でのWebの立ち位置や、その中でのWebアクセシビリティの立場を再確認することが重要と考えております。

まず最初に、Webアクセシビリティの原則と問題全体について確認し、次に今回の記事のきっかけとなった私の個人的な体験についてお話します。最後に、今回の議論をどのように活かしていくか考えたいと思います。

原則

Webアクセシビリティについて議論する際には、JIS X 8341-3および、そのベースとなったWCAGを基準とすることになると思います。

この記事の執筆時点では Web Content Accessibility Guidelines (WCAG) 2.1がワーキングドラフトです。勧告ではないとはいえ、現状で参照できる最新のガイドラインと言えます。この"Background on WCAG 2"には以下の記述があります。

Although these guidelines cover a wide range of issues, they are not able to address the needs of people with all types, degrees, and combinations of disability.

仮にWCAGまたはWebアクセシビリティJISに準拠したWebコンテンツがあったとしても、障害の全ての種類、程度およびその組み合わせのニーズを満たすことはできないと書かれています。

情報伝達の戦略立案の際に、この点をどの程度意識しているでしょうか。

問題提起

Webアクセシビリティを議論する時は、どうしてもマークアップやスクリプト実装といった技術的な各論になりがちだと感じます。

また、先の引用箇所にあるように、WCAGは幅広いニーズに応えるように考えられています。このため、これに沿ってコンテンツ実装を検討する際には、そうした幅広いニーズを想定しています。

こうした状況が続くと、Webコンテンツを十分にアクセシブルにすれば、すべてのユーザーのニーズに応えられていると考えてしまうのではと危惧しており、実際にそのような例にいくつか遭遇しました。果たしてそれは妥当な判断でしょうか。

Thinking From The Ground Up

もう一度、最初から考えてみたいと思います。

図: 情報伝達におけるWebとWebアクセシビリティの関係

こちらから提供したい情報があり、その情報を必要としている方々がおられます。その方々はそれぞれ、年齢、国籍、障害、病気など、様々な事情があり、その状況にあった情報提供を求めておられます。これが「すべての情報ニーズ」です。

現代ではWebを用いることで、その情報ニーズの大半は満たすことができます。しかし、そのWebの設計や実装がアクセシブルでないと、情報ニーズを満たすことができる範囲がかなり狭くなります。そのため「Webコンテンツをアクセシブルにする努力」によってこの範囲を広げる活動が行われています。

しかし「Webコンテンツをアクセシブルにする努力」に注力することで、もともとの「Webで情報ニーズの大半は満たすことができるが、すべてではない」という部分が見えなくなっていないでしょうか。

では、Webで満たすことのできない情報ニーズとは、具体的にどのようなケースなのでしょうか。

すぐに思い出されるのが「情報格差」や「デジタルデバイド」という単語かと思います。この概念は行政ではアクセス(インターネット接続料金、パソコン価格等)と知識(情報リテラシー等)などといった、ブロードバンド網の整備やデバイス、リテラシーの問題として整理されることが多いように思います。

では、アクセシブルなコンテンツ、ネットワークとデバイス、金銭面の問題が解決すれば、Webですべての情報ニーズを満たすことはできるのでしょうか。

私はユーザーの状態によっては、上記が揃っていても情報ニーズを満たせないと考えています。私は障害者福祉は専門ではありませんが、数少ない体験の中で似たようなケースに遭遇したことがあり、お話したいと思います。

高次脳機能障害との出会い

私が今回の内容について考えるきっかけとなった出来事についてお話させてください。2014年に亡くなった私の父のことです。

私の父はエンジニアで、古くはマイコンから始まり、私が小学生だった1986年頃には 東芝 J-3100 SLというPC/AT互換機の初期型を所有していました。私自身、その端末でMS-DOS 3.3について父から教えを受けました。そのため、デジタルデバイドやシニアのWebユーザビリティで想定されるようなリテラシーの問題は、父にはありませんでした。また、実家には光ファイバー回線が引かれていました。

後年、父は大脳皮質基底核変性症(CBD)という難病(指定難病)であることがわかりました。 日本では人口10万人当たり2名程度のまれな病気脳の神経細胞が脱落するとともに、残った神経細胞にも異常な蛋白(リン酸化タウ)が蓄積脳では前頭葉と頭頂葉に強い萎縮が認められることに関連するのか、父は病気の進行とともだんだん体を動かすことが不自由になり(「大脳皮質症状」)、かつ急速に会話が困難になっていきました(「失語症」)。

自分の予後に対する不安、私たち家族にのこす言葉。この時期、私たちに父が伝えたかったメッセージは少なくなかったと思いますが、それを言葉にすることができなくなってしまいました。

そこで私は実家にあったiPadを使って、スクリーンキーボードを指でタップして会話するアプリや、絵文字を指差して会話するアプリなどを購入し、父とのコミュニケーションに利用しようとしました。しかし、父は首を縦に振りません。

後から推測すると、脳が委縮したことで「観念運動失行」という高次脳機能障害を起こしており、例えば自分の発したいメッセージを順番に文字にする、あるいはメッセージに該当するアイコンをタップすることそのものが不可能になっていたと思われます。担当の先生はわかりやすく「病気の影響で集中力が続かなくなっている」と表現されました。

思い起こせば、病気が悪化し失語症が現れる以前から、例えばチャイルドシートの取り付け方の指示など論理的思考ができなくなってきたと、父は肩を落としていました。この症状が進んだものと思われます。

私は自分の無力さに愕然としました。自分が十数年もの間Webアクセシビリティというものに携わっておきながら、今一番聞きたい父のメッセージが受け取れないという、情報コミュニケーションの問題に直面し、それに対し全くなすすべもなく、ただ見守るしかないことに。

その後、父の容体は悪化し、病院から何度目かの呼び出しがあって様子を見ていると、少し目を開けた時間がありました。私は今までありがとう。いろいろと迷惑をかけてごめんなさい、と大声で伝えました。父はゆっくりと私の顔を見て、酸素マスク越しに、ありがとう、と表情と口の動きで伝えたあと、静かに目を閉じました。その後、父は多くのメッセージを抱えたまま、二度と目を開けることはありませんでした。

すべての情報ニーズについて考える

少々極端な例ではありますが、デジタルデバイドの解消に必要とされる、ネットワーク、端末、リテラシーに問題ない状況であっても、コミュニケーションがうまく行えない例について、私自身の体験をお伝えしました。

ここで高次脳機能障害について医療的な観点ではお知らせはできませんので、詳しくは 国立障害者リハビリテーションセンターのサイトなどをご参照いただくのがよいかと思いますが、交通事故などでの脳への強い衝撃や、脳卒中などでも起きる可能性があるとのことです。

私自身、以前携わった書籍の中で高次脳機能障害について取り上げていたものの、自分自身の体験として、その症状と向き合っておられる方とお話するような機会がなかったため、あまりよく理解できていませんでした。

しかし、今回の父との経験を通じて、デバイスやリテラシーがあっても、そもそも脳の障害によって、コミュニケーションができない状況があることが理解できました。

今回は、高次脳機能障害にフォーカスした内容となりましたが、こちらの想定通りにデバイスやコンテンツを利用できないケースは他にもあると思われます。また、そのような想定をして備えておくべきかと考えます。

主に自治体の情報発信などが対象になるかと思いますが、情報発信の手段をアクセシブルなWebに限定せず、常にWebが利用できない方々のための代替手段をご検討・ご用意いただきたいと思います。

また、サービスやコンテンツをアクセシブルにする際に「全ての人に向けて」と表現しているなら、こうしたWebを利用できない方々が想定から抜けていないか、それで問題ないか、確認が必要かと思います。「できるだけ多くの人に向けて」であれば問題ないのかと思います。小さな差ですが、私は今回の経験を通じて、大変気になるようになりました。

今回の記事が、どなたかのお役に立てればうれしく思います。